JR215系
迷列車シリーズにも、よく登場する、JR215系です。

JR品川駅のホームに寂しそうに停まっていました。


こうして見ると、他と変わらない電車のようですが、
かなり変わった電車です。




10両編成のすべての車輌が二階建なのです。
狭い土地に高層ビルを建設して多くの人が住めるようにするのと同じように、
多くの人が座れるように上に向かって伸びる電車だったのです。
見た目は、東海道線などのグリーン車がつながっている感じです。
しかも、なかなか斬新なカラーリング。


ダブルデッカーであることを、さりげなくでもなく主張しています。
1992年から1993年にかけて製造されたモデルですが、
今、見ても古さは感じません。

ここだけを見ると、上に伸びるというより、下に、もぐる感もあります。
でも、座席も快適そうです。実際に乗ったことは、ありません。




2階の窓からは、景色も楽しめそうです。
車体に合わせて丸みをおびた窓もいいです。





最初は、湘南ライナーなどで運用されたこの列車。
普通料金で、座って通勤できると、評判もよかったようですが、
思わぬ落とし穴があったようです。
全車、ダブルデッカーであるために、ドアの数が限られます。
今では、首都圏の20m級の車輌は、4ドアが普通ですが、
この電車は、すべて、2ドアです。
そのため、混雑する時間帯に運用すると、乗り降りに時間がかかり、
遅延のもとになってしまったようです。
現在では、運行数も減って、土日はなかなか見かけることもない電車です。

215系回送電車
品川から、発車する回送電車です。
一度乗ってみたい電車です。
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JR品川駅のホームに寂しそうに停まっていました。


こうして見ると、他と変わらない電車のようですが、
かなり変わった電車です。




10両編成のすべての車輌が二階建なのです。
狭い土地に高層ビルを建設して多くの人が住めるようにするのと同じように、
多くの人が座れるように上に向かって伸びる電車だったのです。
見た目は、東海道線などのグリーン車がつながっている感じです。
しかも、なかなか斬新なカラーリング。


ダブルデッカーであることを、さりげなくでもなく主張しています。
1992年から1993年にかけて製造されたモデルですが、
今、見ても古さは感じません。

ここだけを見ると、上に伸びるというより、下に、もぐる感もあります。
でも、座席も快適そうです。実際に乗ったことは、ありません。




2階の窓からは、景色も楽しめそうです。
車体に合わせて丸みをおびた窓もいいです。





最初は、湘南ライナーなどで運用されたこの列車。
普通料金で、座って通勤できると、評判もよかったようですが、
思わぬ落とし穴があったようです。
全車、ダブルデッカーであるために、ドアの数が限られます。
今では、首都圏の20m級の車輌は、4ドアが普通ですが、
この電車は、すべて、2ドアです。
そのため、混雑する時間帯に運用すると、乗り降りに時間がかかり、
遅延のもとになってしまったようです。
現在では、運行数も減って、土日はなかなか見かけることもない電車です。

215系回送電車
品川から、発車する回送電車です。
一度乗ってみたい電車です。
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上野駅
JR上野駅です。
いろいろな電車が発着して楽しいところです。
実は、過去の国鉄の特急色が好きです。



この色の電車が大好きです。
できれば、雷鳥のような電車を見たいと思います。
185系の特急色です。
185系上野駅発車


飛行機や新幹線のように、早くはありません。
でも、特急電車で遠くに出かけたいと思います。
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いろいろな電車が発着して楽しいところです。
実は、過去の国鉄の特急色が好きです。



この色の電車が大好きです。
できれば、雷鳥のような電車を見たいと思います。
185系の特急色です。
185系上野駅発車


飛行機や新幹線のように、早くはありません。
でも、特急電車で遠くに出かけたいと思います。
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千葉県流山市 2013年8月17日
盆休みで、だらだらと過ごしていましたが、
少しは身体を動かそうと、千葉県流山市に行ってみました。


流鉄流山線の電車です。
本当は、こちらがメインだったのですが、電車は別に紹介します。
流鉄流山線は、都心に近いローカル線です。
現在は、2両の電車が4編成で走っています。
それぞれ、名前がつけられて車体色も、それぞれ違います。


流鉄流山線終点の流山駅です。
関東の駅百選にも、選ばれたそうです。
本屋は、1916年に建てられたものだそうです。
もうすぐ、100年を迎えます。
途中、改装等は何度かあったようです。
以前は、電車で流山市を訪れるには、この路線しかなかったようです。
現在では、つくばエクスプレスも開業して、
乗降数も減少しているようです。

駅前の観光案内の看板です。
近藤勇の流山本陣がおかれていたそうです。
ここに本陣をおいた頃は戦況も悪化していました。
慶応4年4月に本陣をおき、4月25日には処刑されています。
ここで過ごした日は、短いものだったことでしょう。





近藤勇の陣屋跡です。




呉服新川屋店舗です。
このあたりは、かっては栄えていたと思われます。
江戸川がすぐ近くで、交通の便もよかったのでしょう。

流山市のマンホールのふたです。
最近は、マンホールもカラフルなものが多くなっています。
各自治体で、いろいろなデザインがあって楽しいです。


キッコーマンの工場です。
平和台駅付近は、かっては陸軍糧秣本廠流山出張所が置かれていたそうです。
かっては、みりんの製造などで栄えたようです。
江戸川に沿っていることもあり、いろいろな歴史を感じさせてくれる町です。
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少しは身体を動かそうと、千葉県流山市に行ってみました。


流鉄流山線の電車です。
本当は、こちらがメインだったのですが、電車は別に紹介します。
流鉄流山線は、都心に近いローカル線です。
現在は、2両の電車が4編成で走っています。
それぞれ、名前がつけられて車体色も、それぞれ違います。


流鉄流山線終点の流山駅です。
関東の駅百選にも、選ばれたそうです。
本屋は、1916年に建てられたものだそうです。
もうすぐ、100年を迎えます。
途中、改装等は何度かあったようです。
以前は、電車で流山市を訪れるには、この路線しかなかったようです。
現在では、つくばエクスプレスも開業して、
乗降数も減少しているようです。

駅前の観光案内の看板です。
近藤勇の流山本陣がおかれていたそうです。
ここに本陣をおいた頃は戦況も悪化していました。
慶応4年4月に本陣をおき、4月25日には処刑されています。
ここで過ごした日は、短いものだったことでしょう。





近藤勇の陣屋跡です。




呉服新川屋店舗です。
このあたりは、かっては栄えていたと思われます。
江戸川がすぐ近くで、交通の便もよかったのでしょう。

流山市のマンホールのふたです。
最近は、マンホールもカラフルなものが多くなっています。
各自治体で、いろいろなデザインがあって楽しいです。


キッコーマンの工場です。
平和台駅付近は、かっては陸軍糧秣本廠流山出張所が置かれていたそうです。
かっては、みりんの製造などで栄えたようです。
江戸川に沿っていることもあり、いろいろな歴史を感じさせてくれる町です。
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国内スマホ1号機は、2009年7月発売!
日本で始めて販売されたスマホは、DocomoのHT-03Aです。
アンドロイド1.5を、搭載していました。
2009年7月10日のことです。
スマホですが、これは携帯電話と、PDAを足したようなものです。
今では、PDAと言っても、知らない人が多いでしょう。
パーソナル・デジタル・アシスタントなどと訳されます。
簡単に言ってしまえば、PDAは、パソコンを持ち歩けるように、
小さくしたものと考えてください。
サイズは、今の、携帯電話ぐらいです。
PDAが出現する前には、電子手帳というものがありました。
電子手帳が世に出現するまでは、住所録やスケジュールなどは、
紙に書いて管理するのが当たり前でした。
一昔前までは、いろいろな手帳があったのです。
システム手帳なんかが、いい例です。
みんなデータを紙の上で管理していた時代です。
パソコンが一般的になっても、パソコンは大きく重く、
そして高いものでした。
持ち歩くことができるようになるのは、先の話です。
電子手帳は、住所録やスケジュールやメモを取れるように、
それに特化して小型化されて作られていました。
でも、もともと搭載されている機能以外は使えませんでした。
それでも、紙で管理していた頃に比べると便利だったのです。
PDAの国内の最初のものは、1990年頃から出ていました。
ただし、この頃はカスタマイズは困難でした。
いわゆる電子手帳的なものです。
1993年には、シャープがザウルスを発表しました。
これは、手書き入力など魅力的な機能を持っています。
でも、カスタマイズは困難です。
2000年には、SONYが、クリエを発売します。
これが、国内のPDAの最初かもしれません。
OSは、Palmでした。
もともとの機能で、住所録やスケジュールの管理はできます。
それだけではなく、ソフトのインストールもできます。
パソコンと同じように使える上に、小さくまとまっていました。
当時の、Palm OSは、一般的で国外でもソフトあ開発されていました。
オープンソースであるために、ソフトのインストール、
多少の改変も可能だったのです。
重い計算をさせることには向かないにしても、
外出先で何らかの演算をさせることなどは可能でした。
ノートパソコンが、まだまだ大きく重い時代に、
PDAは、今の携帯電話ほどの大きさや重さで、
いろいろなことのできる端末だったのです。
PDAのOSは、Palmか、Windows CEが中心的でした。
Palmは、PDA用のOSであったため、
CPUと、メモリーが大きくなくても、
さくさく動く感じでした。
国内外でも、かなり多く使われていました。
ソニーは、2005年にPDAの発売を終了しています。
携帯電話の多機能化と、ノートパソコンの小型化は、
PDAの住む場所をなくしていきました。
小型化されたノートパソコンは、持ち歩けるようになります。
OSが一般的なので、ソフトも多く、演算も得意です。
そして、PDAの代表的な役割である電子手帳的な機能は、
ほとんどの携帯電話で実現できるようになりました。
携帯電話の電話帳は、500件以上も登録可能になったのです。
また、音楽プレーヤーとしての機能も、
携帯電話でできるようになりました。
でも、携帯電話では、自分でソフトをインストールすることは困難です。
電卓の機能はあっても、公式を入力することは不可能でした。
こんな理由で、PDAを長らく使っていました。
PDAであれば、演算の公式を覚えこますことぐらい簡単です。
この頃に、漠然と考えたことが、携帯電話とPDAのドッキングでした。
Palm phone
自分の携帯に、PDAが乗っかっていれば便利だろうと思いました。
2013年現在では、アンドロイドを主流として、
スマホが多く出回っています。
アンドロイドは、過去のPalmと同じく、OSの費用はかかりませんし、
とても使いやすくなっています。
今の時代なりのハードのスペックは必要ですが、
そのハードルも、高すぎるものではありません。
過去に自分が夢見ていたものが、今のスマホで実現されています。
すごい時代になったものだと、あらためて思う次第です。
Palmが、現在も健在であったら、スマホのOSは、
大きな競争になっていたかもしれません。
アンドロイドは、とても優れていますが、
Palmの俊敏さには、追いつけていない気がします。
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アンドロイド1.5を、搭載していました。
2009年7月10日のことです。
スマホですが、これは携帯電話と、PDAを足したようなものです。
今では、PDAと言っても、知らない人が多いでしょう。
パーソナル・デジタル・アシスタントなどと訳されます。
簡単に言ってしまえば、PDAは、パソコンを持ち歩けるように、
小さくしたものと考えてください。
サイズは、今の、携帯電話ぐらいです。
PDAが出現する前には、電子手帳というものがありました。
電子手帳が世に出現するまでは、住所録やスケジュールなどは、
紙に書いて管理するのが当たり前でした。
一昔前までは、いろいろな手帳があったのです。
システム手帳なんかが、いい例です。
みんなデータを紙の上で管理していた時代です。
パソコンが一般的になっても、パソコンは大きく重く、
そして高いものでした。
持ち歩くことができるようになるのは、先の話です。
電子手帳は、住所録やスケジュールやメモを取れるように、
それに特化して小型化されて作られていました。
でも、もともと搭載されている機能以外は使えませんでした。
それでも、紙で管理していた頃に比べると便利だったのです。
PDAの国内の最初のものは、1990年頃から出ていました。
ただし、この頃はカスタマイズは困難でした。
いわゆる電子手帳的なものです。
1993年には、シャープがザウルスを発表しました。
これは、手書き入力など魅力的な機能を持っています。
でも、カスタマイズは困難です。
2000年には、SONYが、クリエを発売します。
これが、国内のPDAの最初かもしれません。
OSは、Palmでした。
もともとの機能で、住所録やスケジュールの管理はできます。
それだけではなく、ソフトのインストールもできます。
パソコンと同じように使える上に、小さくまとまっていました。
当時の、Palm OSは、一般的で国外でもソフトあ開発されていました。
オープンソースであるために、ソフトのインストール、
多少の改変も可能だったのです。
重い計算をさせることには向かないにしても、
外出先で何らかの演算をさせることなどは可能でした。
ノートパソコンが、まだまだ大きく重い時代に、
PDAは、今の携帯電話ほどの大きさや重さで、
いろいろなことのできる端末だったのです。
PDAのOSは、Palmか、Windows CEが中心的でした。
Palmは、PDA用のOSであったため、
CPUと、メモリーが大きくなくても、
さくさく動く感じでした。
国内外でも、かなり多く使われていました。
ソニーは、2005年にPDAの発売を終了しています。
携帯電話の多機能化と、ノートパソコンの小型化は、
PDAの住む場所をなくしていきました。
小型化されたノートパソコンは、持ち歩けるようになります。
OSが一般的なので、ソフトも多く、演算も得意です。
そして、PDAの代表的な役割である電子手帳的な機能は、
ほとんどの携帯電話で実現できるようになりました。
携帯電話の電話帳は、500件以上も登録可能になったのです。
また、音楽プレーヤーとしての機能も、
携帯電話でできるようになりました。
でも、携帯電話では、自分でソフトをインストールすることは困難です。
電卓の機能はあっても、公式を入力することは不可能でした。
こんな理由で、PDAを長らく使っていました。
PDAであれば、演算の公式を覚えこますことぐらい簡単です。
この頃に、漠然と考えたことが、携帯電話とPDAのドッキングでした。
Palm phone
自分の携帯に、PDAが乗っかっていれば便利だろうと思いました。
2013年現在では、アンドロイドを主流として、
スマホが多く出回っています。
アンドロイドは、過去のPalmと同じく、OSの費用はかかりませんし、
とても使いやすくなっています。
今の時代なりのハードのスペックは必要ですが、
そのハードルも、高すぎるものではありません。
過去に自分が夢見ていたものが、今のスマホで実現されています。
すごい時代になったものだと、あらためて思う次第です。
Palmが、現在も健在であったら、スマホのOSは、
大きな競争になっていたかもしれません。
アンドロイドは、とても優れていますが、
Palmの俊敏さには、追いつけていない気がします。
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夏です。
上野です。
上野不忍池に、今年も咲いてくれています。

でも、上野に行ったら、まずはごあいさつ。
有名な西郷さんです。
西郷さんの見る景色も、ずいぶん変わっています。
新幹線が東北に向かって走るようになったし、
スカイツリーはできたし。
でも、方向が違ったり、新幹線は地下を走っていたりで、
なかなか見れないかもしれません。

西郷さんの連れている犬の名前は知りません。
なんて呼ばれていたのでしょう。
犬も、西郷さんと一緒に、よく写真に撮られています。
犬だけを撮る人は、少ないでしょう。





お目当ての蓮です。
猛暑の今年も、ちゃんと咲いてくれています。
暑いのに、文句も言わないで。


来年も、見にくる予定です。
来年は、花が開くところと閉じるところも見たいです。
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上野不忍池に、今年も咲いてくれています。

でも、上野に行ったら、まずはごあいさつ。
有名な西郷さんです。
西郷さんの見る景色も、ずいぶん変わっています。
新幹線が東北に向かって走るようになったし、
スカイツリーはできたし。
でも、方向が違ったり、新幹線は地下を走っていたりで、
なかなか見れないかもしれません。

西郷さんの連れている犬の名前は知りません。
なんて呼ばれていたのでしょう。
犬も、西郷さんと一緒に、よく写真に撮られています。
犬だけを撮る人は、少ないでしょう。





お目当ての蓮です。
猛暑の今年も、ちゃんと咲いてくれています。
暑いのに、文句も言わないで。


来年も、見にくる予定です。
来年は、花が開くところと閉じるところも見たいです。
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